パソコンの画面に向かい、終わりの見えないルーティン作業を淡々とこなす日々。

ふと手を止めた瞬間、「私、今完全に機械みたいに動いてるな……」と、冷たい虚無感に襲われることがありました。

名古屋での私は、いつも何かに追われていました。食事はすき家や吉野家などの牛丼チェーンでサクッと済ませる。移動中は、特に見たいわけでもないYouTubeの動画を、ただ意味もなく流し見して隙間時間を埋める。

空の青さや風の心地よさに気づく余裕なんて全くなくて、夜空を見上げて星を探すことすら、いつしか忘れてしまっていました。

なんでもすぐに手に入る。どこへでもすぐに移動できる。そんな便利な都会に住んでいるはずなのに、なぜか心は常に焦っていて、息苦しい。みなさんは、そんなふうに感じたことはありませんか?

私は今、そんな「タイパ(タイムパフォーマンス)」の物差しを都会に置いて、月に1週間ほど熊本県の最深部「槻木(つきぎ)集落」に滞在しています。

ここは、私の凝り固まった価値観を、根底から覆してくれた場所です。

目次

  1. スーパーへの買い出しは「過酷な小旅行」
  2. 窓を開けて見つけた、夕暮れの特等席
  3. 「意味のない時間」にこそ、意味がある
  4. 自分の足で、進んでみる

スーパーへの買い出しは「過酷な小旅行」

滞在中、どうしても食材の買い出しが必要になる時があります。都会なら「ちょっとそこのコンビニまで」で済む話ですが、ここ槻木にはスーパーはおろか、コンビニすらありません。

「じゃあ、ちょっと町まで買い出しに行ってきます」そう言って車に乗り込むわけですが、一番近いスーパーまでの道のりは、なんと片道約40〜50分。往復すれば2時間近くの小旅行です。

しかも、ただの道ではありません。ぐねぐねと曲がりくねった、険しい山道が延々と続きます。

「本当に長いな……いつたどり着くんだろう」と、最初はただただ途方に暮れていました。たまに道端に落石があったり、野生の動物が飛び出してきたりと、大自然ならではのハプニングにも神経をすり減らします。

さらに追い打ちをかけるのが、電波状況です。

山道を走っていると、スマホの電波がプツンと途切れます。情報社会で生きてきた私は「うわ、マジか……」と、得体の知れない不安に襲われました。

長い山道を越え、ようやく町のスーパーにたどり着いた時。都会と変わらない品揃えのスーパーではありますが、やっと食材にありつけたというどこかほっとする気持ち、圧倒的な安心感と嬉しさは、今でも忘れられません。

窓を開けて見つけた、夕暮れの特等席

そんな過酷なドライブでしたが、何度かこの山道を往復するうちに、私の中である変化が起き始めました

ある冬の日、運転中に「今、外はどれくらい寒いんだろう?」と気になり、ふと車の窓を開けてみたんです。すると、情報のノイズが消えた車内に、草木が風に揺れるザワザワという音や、冷たくて澄んだ空気が一気に流れ込んできました。

目の前の道をただ進むだけの、強制的な「無音」と「圏外」の空間。それがいつしか、私にとって心地よいものへと変わっていったのです。

私には、この山道で一番好きな景色があります。山の上の方へ登っていくと、一部だけ木々が開けて、遠くの街を見下ろせる場所があるんですが、特に、夕暮れ時。オレンジ色に染まる夕焼け空と、静かに明かりが灯り始める街の景色は、言葉を失うほど美しく、私の心を優しくほどいてくれます

片道50分のドライブは、いつの間にか「面倒な移動」ではなく、私にとって「瞑想」に近い、最高のデトックス時間へと変わっていました。

「意味のない時間」にこそ、意味がある

仕事をしていると、自分でも気づかないうちにモヤモヤとした悩みや考え事が溜まっていきます。名古屋のデスクで、目の前のタスクに追われながら考えていると、どうしても思考の幅が狭まってしまいます。

でも、この山道を運転している時は違います。

スマホも鳴らない、ただ景色が流れていくだけの「意味のない時間」。その空白の中で思考を泳がせていると、ガチガチだった考えがクリアになり、驚くほど思考が広がっていく感覚があるのです。

「自分が本当にやりたいことは何だろう」
「逆に、やりたくないことは何だろう」

そんな本質的な問いと静かに向き合い、考え尽くした末に、「まあ、深く悩んでも仕方ないか」とストンと腑に落ちる瞬間がやってきます。

大きく、深呼吸を一つ。町に着いて車を降りる頃には、あんなに重かった心が嘘のように軽くなっているのです。

自分の足で、進んでみる

槻木での滞在を経て、名古屋に帰ったあとの私には、ある小さな変化が起きました。

それは、電車やタクシーなどの便利な移動手段をあえて使わず、「徒歩」や「自転車」で移動することが増えたことです。

自分の足でペダルを漕ぎ、自分の足で地面を踏みしめて進む。風の心地よさを感じながら移動する時間は、タイパの観点から言えば「無駄」かもしれません。

けれど、「意味のない時間」を過ごすことの中にこそ、本当の意味がある。槻木の長い山道が、私にそう教えてくれました。

もし今、あなたが都会のスピードに疲れ、息せき切って生きているのなら。次の休日は、目的地を決めずに、ただ車を走らせてみませんか?スマホを置いて、自分の足で、見知らぬ街を散歩してみませんか?

すぐには答えが出なくても大丈夫。時にはあえて遠回りをして、あなただけの「美しい夕焼け」を探しにいってみてください。