車のドアを開けた瞬間、背筋がキュッと縮こまりました。
鼻の奥がツンとするような、痛いほどの冷気。熊本県の山奥、「槻木(つきぎ)集落」の冬は容赦がありません。
ふと時計を見ると、時刻はまだ夕方の5時を回ったところ。でも、山間のこの集落では、太陽は早々に稜線の向こうへ隠れ、あたりは薄暗い藍色に包まれ始めています。
みなさん、あけましておめでとうございます。……と言いたいところですが、もう1月がスタートして1週間程。そろそろお正月気分が抜け、現実が押し寄せてきている頃ではないでしょうか。
「今年の目標は?」
「もっと生産性を上げないと」
「効率的に成果を出さなきゃ」
年が明けると、都会ではそんな言葉たちが一斉に走り出します。
もちろん、前に進むことは大切です。でも、「成長しなきゃ」「置いていかれる」という見えないプレッシャーに、少しだけ息切れしていませんか?
私は今、そんな「効率」の物差しを都会に置いて、月に一度の槻木滞在に来ています。
コンビニまで車で50分。信号もなければ、駅もない。不便で、寒くて、何もない場所。けれどここには、すり減った心を満たしてくれる豊かな「空白」があります。
薪ストーブと、意味のない会話の温かさ

「さむかろ?ここ座んなー」
集落に住むおばあちゃんの家に挨拶に行くと、当たり前のように特等席(薪ストーブの前)を空けてくれます。
パチパチ、とはぜる音。少し焦げたような、懐かしい木の香り。エアコンの温風が肌の表面を撫でるものだとしたら、薪ストーブの熱は、身体の芯までじわじわと染み渡り、凝り固まった何かを溶かしてくれるような感覚があります。
「今年は野菜がイノシシに食われてしもうてねぇ」
「あらま、それは大変でしたね」
「そぎゃんたい。あんた、また来たねぇ。ちゃんとご飯食べよっとね?」
「食べてますよ(笑)」
そんな、他愛のない会話。
正直に言うと、私は元々、人とのコミュニケーションが得意な方ではありません。都会で仕事をしていると、誰かと話す時につい身構えてしまいます。
「何か有益なことを話さなきゃ」「気の利いた返しをしなきゃ」と、会話にすら「成果」を求めてしまうのです。
でも、ここでの時間には、ゴールも生産性もありません。ただ、赤い炎をぼんやりと眺めて、おばあちゃんとお茶を飲み、笑い合うだけ。
なんの結論も出ない会話なのに、なぜか心が満たされていく。
「ああ、無理して気の利いたことを言わなくてもいいんだ」そんな安心感が、薪ストーブの熱と一緒に、冷えた身体を温めてくれます。
「世界って美しいな」

その日の夜のことです。滞在拠点に戻り、私はPCに向かっていました。
静かな集落にいても、仕事は待ってくれません。画面に並ぶチャットの返信、資料の作成、来月のスケジュールの調整……。気づけば数時間が経ち、眉間にシワが寄ったまま、脳みそが痺れるような疲れを感じていました。
「ふぅ……」
重いため息をつき、逃げるように玄関のドアを開けました。一歩外に出ると、昼間とは比べ物にならない、鋭利な寒さが襲ってきます。一瞬で目が覚めるような、氷点下の空気。
寒さに震えながら、何気なく夜空を見上げました。
「…………」
言葉が出ませんでした。そこには、視界に収まりきらないほどの、満天の星。「プラネタリウムみたい」なんて比喩すら陳腐に感じるほど、その光は力強く、圧倒的な量で降り注いでいました。街灯ひとつない漆黒の闇だからこそ、星の輝きだけが際立っています。
「……世界って、美しいな」
自分でも驚くほど自然に、そんな独り言が口から漏れました。
都会にいる時、私は世界を「評価するもの」「攻略するもの」として見ていた気がします。数字を上げなきゃ。もっと評価されなきゃ。まるで、自分が世界の中心にいて、すべてをコントロールしなければいけないかのように。
でも、この星空の下では、私はただのちっぽけな存在にすぎません。そして星たちは、誰に見られるためでもなく、誰に評価されるためでもなく、ただそこに在り、燃えています。
ただ、在るだけで美しい。その単純な事実に気づいた瞬間、ずっと肩に背負っていた重い荷物を、ふっと下ろせたような気がしました。
心の避難所を持とう

正直、槻木の冬は厳しいです。夜は寒いし、お店に行くのも一苦労。効率や便利さを求めるなら、間違いなく不合格な場所でしょう。
でももし今、あなたが都会のスピードや、成果主義のプレッシャーに押しつぶされそうなら。「生産性」という言葉に、少し疲れてしまったなら。
次の休日は、PCを閉じて、自然の中へ出かけてみませんか?
場所はここ、槻木でなくても構いません。近くの海でも、山でも、風が通る公園でも。スマホを置いて、ただ風の音を聞き、ボケーっと空を見上げる。
そんな「一見ムダな時間」こそが、私たちが人間らしく明日を生きるための、一番の栄養になるはずですから。