名古屋のオフィス街で、私は今日もキーボードを叩いています。Instagramの運用戦略を練り、メディアの記事構成を考え、クライアントに提案する。「KPI」「アジェンダ」「コミット」……。飛び交うカタカナ用語を使いこなし、スマートに仕事を回します。
でも、月に一度、熊本県の最深部「槻木(つきぎ)集落」に足を踏み入れるたび、その自信は粉々に砕け散ります。Wi-Fiも届かない山奥で突きつけられるのは、「お前は、一人で生きていけるのか?」という、根源的な問いでした。
今日は、都会の物差しが通用しない場所で、私がこっぴどく「打ちのめされた」話をさせてください。
生暖かい田んぼの土と、遠くの笑い声

「これ、やってみますね?」
ある日の農作業。田植えの手伝いを申し出た私は、内心「まあ、単純作業だし大丈夫だろう」と高をくくっていました。住民の方々が、ヒョイヒョイとリズミカルに苗を植えていく姿を見ていたからです。
けれど、実際に田んぼに足を踏み入れた瞬間。
「うっ……」思わず言葉に詰まりました。足の裏にまとわりつく、生暖かい泥の感触。正直に言えば、本能的に「気持ち悪い」と感じてしまいました。
アスファルトとフローリングの上でしか生きてこなかった私の身体は、大地の感触を「異物」として拒絶したのです。
足が抜けない。腰が入らない。ものの数分で息が上がり、私が動けずにハアハアと言っていると、遠くの方から住民の方々の話し声や笑い声が聞こえてきます。彼らは泥なんて気にする様子もなく、談笑しながら作業を進めている。
その時、強烈な疎外感と、無力感に襲われました。「あ、俺、ここでは役立たずだ」
PCの前なら誰よりも速く指を動かせるのに、ここでは自分の足さえ思うように動かせない。生き物としてのレベルの違いを、あの生暖かい泥の中で痛感させられました。
「使い込まれた木」に負けた日

ショックはそれだけでは終わりません。
壊れた農具をササッと修理し、火起こしも一瞬でこなす彼らの手には、いつも「使い込まれた道具」が握られています。何十年もの間、人の手で撫でられ、脂が染み込み、黒光りしている木の持ち手。
ふと、自分の手元にある最新のスマートフォンやPCに目を落としました。
工場で作られた、冷たくてツルツルしたプラスチックと金属の塊。機能的なはずなのに、なぜかその時、私の道具がひどく薄っぺらく、頼りなく見えたのです。
「必要なものは、自分の手で作り、直して使う」
その哲学が宿った「質感」の前では、私が得意げに使っていた「効率化ツール」なんて、おもちゃのように思えてきました。
もし今、世界中の電気が消え、GoogleやAmazonなどのサービスが止まったら。槻木集落の皆さんは何食わぬ顔で生きていけるけれど、私の生存確率は、おそらく彼らの20%にも満たないだろう。
そんな残酷な事実が、視覚的にも突きつけられた瞬間でした。
92歳の「師匠」が教えてくれたこと

そんな私の価値観を変えた出来事の一つに、集落に住むあるおばあちゃんとの出会いがあります。御年、92歳。なんと、あの山深い集落で、たった一人で暮らしていらっしゃいます。
その方の家に招かれた時のこと。ガラリと戸を開けると、そこには昔ながらの土間が広がっていました。長い歴史を感じる、古びた部屋。けれど、驚くほど綺麗に掃き清められ、道具の一つ一つが整然と並んでいる。
その凛とした空気感だけで、彼女が日々どれほど丁寧に暮らしを紡いでいるかが伝わってきました。
「よう来たねぇ、これ食べな」出してくれたのは、自家製の漬物。
ポリッとかじると、塩気と一緒に、野菜の命そのものの味がしました。スーパーで買ったパック詰めのものではなく、おばあちゃんが自分の手で育て、漬け込んだ「保存食」。
その漬物を出してくれる所作や佇まいからは、言葉にしがたい「温かさ」と、人間としての「圧倒的な強さ」が滲み出ていました。
「また来てね」帰り際、おばあちゃんはいつも優しくそう言ってくれます。将来への不安や心配など、都会人が抱える影は彼女には微塵もありません。
「私は、私の手で生きていける」その確固たる自信と実績が、92歳の彼女を未来への恐怖から解放しているようでした。
「負け」を認めた朝、焦燥感は消えていた

その日の夜。圧倒的な「生きる力」の差を見せつけられた私は、PCを開く気になれませんでした。
いつもなら「何かインプットしなきゃ」「メール返さなきゃ」と焦る時間。でもその日は、ただぼーっと、満天の星空を眺めて過ごしました。
そして翌朝。目が覚めた時、身体の奥底から不思議な感覚が湧き上がっていました。
いつものような「早く起きなきゃ」「今日もしなきゃいけないことが山積みだ」という、あの胸を締め付けるような焦燥感がないのです。
PCスキルは、あくまで現代社会という特定のゲームの中で使える「装備」に過ぎない。本当に大切なのは、小手先の技術ではなく、彼女のように目の前の土を踏みしめ、丁寧に暮らしを整える「胆力」なのだと気づいたからです。
リラックスして、人間としての解像度を上げる

もし今、この記事を読んでいるあなたが、「資格を取らなきゃ」「なにか始めないと」と、やりたくもない努力に追われて疲弊しているとしたら。私は、こう伝えたいです。
「その焦りは、一度手放しても大丈夫だよ」と。
嫌々やるスキルアップが、あなたの「生きる力」に直結するとは限りません。時にはPCを閉じ、スマホを家に置いて、近所を散歩してみてください。風の音を聞き、土の匂いを嗅ぎ、自分の足で地面を踏みしめる。
そんな「人間としての解像度」を上げる時間の方が、よほど未来のあなたを強くし、心を整えてくれるはずです。
もし、自分の無力さを感じたくなったら。いつでも槻木に来てください。美味しい空気と、最強の「生きる達人」たちが、あなたのちっぽけな悩みを笑い飛ばしてくれますから。