「アグリーです。では、そのスキームでコミットしましょう」
商談中、クライアントから飛び出した横文字のIT用語。
実はあまり意味を理解していなかったけれど、私は分かったフリをして、精一杯の愛想笑いでその場を乗り切りました。
自宅のアパートに着き、重いドアを閉めた瞬間。どっと鉛のような疲れが押し寄せてきて、ソファに倒れ込み、そのまま何も考えられず、動けなくなる夜があります。
名古屋でWebの仕事をしている私は、常に「論理的であるべき」「結論ファーストで話すべき」という環境に身を置いています。
もちろん、それは会社を成長させ、ビジネスマンとして強くなるためには絶対に必要なスキルです。
でも、ドライでロジック重視のコミュニケーションが続くと、「人間らしさってなんだっけ?」と、ふと息苦しさを感じてしまう瞬間があるのも事実でした。
相手に隙を見せないように、分厚い「鎧」を着込んで戦う毎日。
そんな私が、月に一度、その重い鎧をスッと脱ぎ捨てる場所があります。それが、熊本県の最深部にある限界集落「槻木(つきぎ)」です。
ここは、現代の私たちが忘れてしまった「完璧じゃないコミュニケーション」が許される、究極の場所でした。
8割が理解不能。それでも通じ合う不思議な会話

槻木の住人の方々は、基本的に「球磨弁(くまべん)」という方言を話します。
正直に告白すると、通い始めて数年経つ今でも、私は現地の方の会話の5割くらいは理解できていません(笑)。
ある日のこと。集落のおばあちゃんが、カゴいっぱいに収穫したブルーベリーを持って笑顔で話しかけてくれました。
言葉の意味は全く分かりませんでしたが、満面の笑みでカゴを差し出してくれたので、「あ、これはブルーベリーを食べていいってことだな!」と予想。
「いただきます!」と元気に実をつまみ上げようとした瞬間……冗談交じりに怒られてしまいました。どうやら、食べていいという意味ではなかったようです。
「すいません!意味が全然理解できなくて!」
私がそう言って笑うと、おばあちゃんも笑って許してくれました。
言葉の意味が通じない。ビジネスの場なら大事故です。でもここでは、ボディランゲージや表情、その場の温かい空気感だけで、なぜか心地よい会話が成立してしまうのです。
「知らない」を笑い飛ばしてくれる安心感

槻木では、私が「できない自分」をさらけ出しても、誰もそれを責めません。
田植えを手伝わせてもらった時のことです。手植えのやり方が全くわからず、「これでやるんですか?」と恐る恐る聞いた私に、現地の方は「なんだ、そんなことも知らないのか」とカラッと笑いました。
一瞬、何も知らない自分が恥ずかしくなりました。でも、相手は私の無知をそれ以上追及するわけでもなく、また優しく慰めるわけでもなく、ただ「当たり前のこと」としてフラットに教えてくれたのです。
「あ、ここでは無理して強がらなくていいんだ」と、スッと心が軽くなったのを覚えています。
逆に、スマホやPCの使い方で困っている現地の方には、私がやり方を教えます。教えたからといって過度にお礼を言われるわけでもなく、「ありがとう」と普通の感謝が返ってくる。言葉の壁を越えた、ごく自然でフラットなWin-Winの関係がそこにはありました。
結論もオチもない時間が、心をほぐす

槻木での私の楽しみの一つが、「挨拶回り」という名の長居です。 おじいちゃんやおばあちゃんの家の土間に案内され、そこに置いてある椅子に座る。すると、決まってお茶菓子や、小さなパックのジュースを出してくれます。
「イノシシに畑を荒らされてねぇ」
「昨日の夜は寒かったねぇ」
話す内容は、たいていそんな他愛のないこと。アジェンダもなければ、オチも結論もありません。でも、お互いにただ笑顔で、ゆっくりと流れる時間の中で言葉を交わす。ビジネスの場では「意味がない」と切り捨てられてしまうようなその余白の時間が、疲弊した私の心を一番癒やしてくれるのです。
変に取り繕ったり、余計な鎧を着込む必要がない。ありのままの自分でいられるこの場所は、私にとって「究極の心理的安全性」が保たれた空間でした。
ロジックを手放した先に見えたもの

現代は、SNSでも職場でも「論破」や「正論」がもてはやされる時代です。でも、槻木のおじいちゃんやおばあちゃんたちと過ごして、私は気づきました。
ロジックがないからといって、人生が悪い方向に進むわけじゃない。むしろ、完璧なロジックを手放した「余白」の中にこそ、面白い瞬間が生まれ、人が心地よく生きていける温かさがあるのだと。
私は、お金を稼ぐために身を削って努力すること自体は、決して悪いことだとは思いません。でも、「お金のため」だけに、自分の気持ちに鞭を打ってまで嫌な仕事をする必要はない。
自分が豊かに生きられると信じられることに向かって頑張ればいいんだ。それに気づいた時、肩に乗っていた重い荷物がふっと消えたような気がしました。
もし今、あなたが都会で「論理的な正解」ばかりを求められ、息継ぎの仕方を忘れてしまっているなら。 一度、田舎や自然豊かな場所に身を置いてみるといいかもしれません。
そしてもし、現地の人とコミュニケーションが取れそうなタイミングがあれば、勇気を出して少しだけ言葉を交わしてみてください。(無理に話しかけて迷惑をかけるのは禁物ですが!)
洗練された言葉なんて必要ありません。ただ自分の「弱さ」や「無知」をさらけ出した時、きっと都会では味わえない、人間らしい温かさに触れることができるはずです。