名古屋の自宅マンションのポストを開けると、今月も水道代の請求書が届いていました。

「あれ、また200円上がってる……」

少しずつ、でも確実に上がり続ける数字を眺めながら、思わず小さなため息が漏れます。

出勤途中、コンビニに立ち寄って100円のミネラルウォーターを買う。何も考えずにレジを通していますが、よくよく考えれば「水に100円」って、結構な出費ですよね。

都会で暮らしていると、水は「お金を払って買う商品」であり、インフラは「毎月ある程度の金額を納めて維持してもらうサービス」です。

けれど、月に1週間ほど仕事で通っている熊本県多良木町の「槻木(つきぎ)集落」では、その常識が根底から覆されました。

コンビニまで車で50分かかる、人口80人ほどの限界集落。そんな不便極まりないはずの場所で、僕ら都会人が恐れる「インフラの値上げ」とは無縁の、力強くて崇高な「地方の生活」が営まれていたのです。

今回は、26歳の会社員である僕が、限界集落の「水」に触れてインフラの常識が崩壊した、5つの瞬間をお話しします。

目次

  1. 1. 水道代「0円」という地方生活のリアル
  2. 2. 蛇口の先にあるのは「管理会社」ではなく「山の神様」
  3. 3. 「無料」を維持するための、泥だらけのサブスクリプション
  4. 4. 壊れるものとして生きる、究極の「たくましさ」
  5. 5. オフィスで水が注がれる瞬間、僕は「槻木」を思い出す
  6. インフラは、お金ではなく「感謝」で回っている

1. 水道代「0円」という地方生活のリアル

「あの、お水を一杯いただけますか?」

槻木集落での滞在初日。お世話になっているおばあちゃんの家で、僕は尋ねました。すると、おばあちゃんは当たり前のような顔をして、こう答えたのです。

「外の湧き水を飲みな」

庭に出ると、そこにはコンコンと湧き出る透き通った水が。恐る恐る口に含んでみると……。

(めちゃくちゃ美味しいじゃん!!)

ひんやりと冷たく、雑味が全くないスッキリとした味わい。

驚くことに、この集落では生活用水のすべてが湧き水で賄われているため、「水道代」という概念が存在しないのです。

毎月値上がりする請求書にため息をつくことも、コンビニで100円のペットボトルを買うこともない。お金という物差しから解放された「無料」のインフラがあるという事実は、都会のサービスにどっぷり浸かっていた僕にとって、最初の大きな衝撃でした。

2. 蛇口の先にあるのは「管理会社」ではなく「山の神様」

ある朝、槻木で蛇口をひねると、水が出ませんでした。

都会のマンションなら、僕は即座に舌打ちをして、スマホで管理会社の番号を検索していたはずです。「なんで水が出ないんだ!」と、理不尽な故障に苛立ちながら。

けれど、槻木では違います。水が止まるのは日常茶飯事。正直、都会人の僕からすれば不便極まりない状況です。しかし、集落の人々はそのくらいで腹を立てたりしません。「あぁ、またか」と笑いながら、当たり前のように自分たちで原因を探り、山へと修理に向かうのです。

その水道管をたどった先で、僕は息を呑みました。

人間が到底立ち入れないような深い森の奥。途方もない年月をかけてろ過された雨水が、静かに、ただコンコンと湧き出していたのです。大自然の迫力と神秘がそこにありました。

そうか、この水は誰かが工場で作った「商品」ではないんだ。

その事実に気づいたとき、僕の胸に湧き上がってきたのは「圧倒的な自然に対する畏敬の念」でした。

現代のノイズや欲望に飲み込まれることなく、大自然の恵みを直接受け取りながら、自然体で生きる。都会の便利な暮らしも確かに贅沢ですが、この地方の暮らしは、どこまでも「崇高で誇り高い」。僕はそう確信しています。

3. 「無料」を維持するための、泥だらけのサブスクリプション

とはいえ、自然のシステムは完璧ではありません。大雨が降ったり、落ち葉が詰ったりすれば、すぐに水は止まってしまいます。

ある日、地域の集落支援員の方と一緒に、水道の修理を手伝う機会がありました。

集落支援員さんは、ビニールテープやナイロン製のロープ、そして金属製の道具など、驚くほどアナログな道具を使って、泥だらけになりながら水道管を直していきます。

その背中を見たとき、僕は猛烈な「もどかしさ」に襲われました。もちろん、社会にはスーツを着てPCを叩く仕事も必要です。でも、いざという時に自分たちのインフラを自分の手で直す力がない僕は、なんてひ弱なんだろうと。

お金を払って業者に直してもらうのが都会スタイルだとしたら、槻木では、自分たちの手を泥だらけにしてインフラを守る「汗と知恵」が、水を維持するための対価なのです。

4. 壊れるものとして生きる、究極の「たくましさ」

最初は「この水は安全なのだろうか?」「環境の変化でいつか枯渇するのでは?」という不安がありました。正直に言えば、今でもその不安はゼロではありません。

でも、集落の人たちは違います。水が止まっても「まあ、自然のことだから仕方なかね」とすぐに受け入れ、直すために山へ向かう。そのたくましさに、僕は心を打たれました。

都会では、インフラは「壊れないのが当たり前」です。だから少しでも不具合が起きると、パニックになり、誰かを責めてしまう。けれど、地方生活においては「いつかは壊れるもの」として日々を生きているのです。

何かが起きても、大抵のことは自分たちの力でなんとか対処できる。だから気負いすぎず、リラックスして、その瞬間瞬間を楽しむことができる。その死生観にも似た強さこそが、本当の「幸せな毎日」を作るのだと気づかされました。

5. オフィスで水が注がれる瞬間、僕は「槻木」を思い出す

名古屋のオフィスに戻った今でも、ウォーターサーバーのボタンを押し、コップに水が注がれるのを見るたびに、あの槻木のひんやりとした湧き水を思い出します。

もちろん、都会のウォーターサーバーの水も美味しい。でも、あの山の匂いと、おばあちゃんの「飲みな」という言葉が溶け込んだ水の味には敵いません。

顔を洗うだけで肌が喜ぶような、あのスッキリとした感覚。それは、水そのものの成分だけでなく、「自然と共に生きている」という実感から来るものだったのでしょう。

インフラは、お金ではなく「感謝」で回っている

水道料金の通知を見てため息をつく日々は、きっとこれからも続きます。でも、今の僕の心の中には、明確で力強い「もうひとつの世界」が広がっています。

お金を払わなくても、蛇口をひねれば山の神様からの恵みが溢れ出てくる場所。誰かにクレームを言う代わりに、自分たちで泥だらけになって暮らしを回していく、あの崇高な「地方生活」の記憶です。

巨大なインフラの底で消費し続ける生活に、少しだけ息継ぎが必要になったとき。僕の足はきっと無意識に、あの長い山道を越えようとするのだと思います。

誰かが用意してくれた水ではなく、大自然が途方もない時間をかけて生み出した、あの透き通るような冷たい水を求めて。

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