名古屋の地下鉄から地上に出た瞬間、鼓膜を叩くような交通量と騒音。

私は無意識に、逃げるようにイヤホンを耳の奥へと押し込んでいました。「ああ、またこのノイズだらけの日常に戻ってきたな」と、ため息を一つこぼしながら。

こんにちは。普段は名古屋のオフィス街でパソコンと睨み合い、カタカナのビジネス用語をドヤ顔で使いこなしている26歳の会社員です。

そんな私には、月に1週間だけ通っている「もう一つの居場所」があります。それが、熊本県多良木町の最深部にある限界集落、「槻木(つきぎ)集落」です。

一番近くのコンビニやスーパーまで、車で片道約50分。信号機もなければ、駅もない。都会の基準で言えば「不便の極み」のような場所です。名古屋の友人に「月に数日、何もない山奥で過ごしている」と話すと、決まって「え、修行僧なの?」とドン引きされます(笑)。

たしかに、不便です。でも、不便だからこそ得られる「チート級の豊かさ」があることに、私は通い続けてようやく気がつきました。

今回は、都会のノイズに少し疲れてしまったあなたへ。コンビニまで50分の山奥で暮らす「意外すぎるメリット」を5つ、こっそりお教えします。

目次

  1. 1. 険しい山道が「最強のメディテーション」になる
  2. 2. 「買えない」からこそ、日常にある豊かさに気づく
  3. 3. 高級フレンチを凌駕する「白米と玉ねぎ」
  4. 4. コミュ障でも心地よい、「盛らない」コミュニケーション
  5. 5. 庭で「ただ、ぼーっとする」時間が心を救う
  6. 地方で生活してみると、たくさんの発見があります

1. 険しい山道が「最強のメディテーション」になる

槻木集落へ向かうには、ぐねぐねと曲がりくねった険しい山道を車で小一時間走る必要があります。普通に考えたら「面倒くさい」ですよね。私も最初はそう思っていました。

でも、信号に引っかかることも、渋滞で前の車にイライラすることもありません。ただひたすら、目の前の道を真っ直ぐに進むだけ。

すると不思議なことに、頭の中を埋め尽くしていた仕事のタスクや人間関係のモヤモヤがすーっと消え、一種の「メディテーション(瞑想)」のような感覚に陥るのです。

そして何より最高なのが、山道の途中、木々の隙間からふと下界の町を見下ろせる絶景ポイント。「自分は今、日常から切り離された特別な場所に向かっているんだ」と実感でき、心がふっと軽くなります。

片道50分は、都会の私から槻木の私へと切り替わるための、大切な「儀式」の時間なのです。

2. 「買えない」からこそ、日常にある豊かさに気づく

名古屋にいる時は、深夜に仕事が終わると、死んだような顔をして牛丼チェーンに吸い込まれていました。ストレスが溜まれば、ネットでポチッと無駄遣い。

でも、槻木では「ちょっとコンビニでスイーツ買ってこよう」が物理的に不可能です。往復100分かけてアイスを買いに行く猛者はなかなかいません。また、ネットショッピングをしたとしても、山奥の地域は配送が週に2回だけ。あまりポチる気にならないのです。

必然的に無駄な買い物がなくなり、「お金を使わずになにができるか?」を考えるようになります。

夜は買ってきたものではなく、自分たちで作ったものを食べる。財力に頼らなくても、自分の手で生活を回していける。その事実が、見えない将来の不安に怯える26歳の私に「なんだ、生きていけるじゃん」という謎の自信を持たせてくれました。

3. 高級フレンチを凌駕する「白米と玉ねぎ」

自分で作った野菜や、集落のおすそ分けでいただく食材。これがもう、とんでもなく美味しいんです。

ある日の食卓は「白米と玉ねぎ」。文字面だけ見たら「やっぱり修行僧の食事じゃん」と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。

大自然の恵みを吸い上げた白米は、ふりかけもおかずも一切不要。ただお米を噛み締めるだけで、充実した甘みと香りが口いっぱいに広がります。

玉ねぎも、ただ焼いて塩コショウを振っただけなのに、味が濃くて若干の香ばしさすら感じる始末。

「素材の味が生きている」なんていう陳腐な食レポしかできない自分の語彙力を恨みますが、特別な味付けをしなくても成立する食事は、名古屋のどんな高級店よりも贅沢な体験です。

4. コミュ障でも心地よい、「盛らない」コミュニケーション

私は元々、コミュニケーションが得意な方ではありません。都会では「デキる若手」を演じるために、無理して愛想笑いを浮かべることも多いです。

でも、槻木のおじいちゃん・おばあちゃんたちの前では、驚くほど自然体でいられます。なぜなら、彼らは過剰に私を褒めたり、持ち上げたりしないから

ある日、意気揚々と農作業を手伝おうとしたのですが、鍬(くわ)の使い方が全くわからず、見事なまでにただの足手まといに成り下がりました。その時も「あらー、若いのになんもできんね!(笑)」と、ダメなところはハッキリと、でも愛のあるトーンで笑い飛ばしてくれました。

怒られるわけではなく、ただ事実として受け入れてくれる。この「盛らないコミュニケーション」が、たまらなく心地良いのです。

畑仕事の途中で通りかかった近所の人と、そのまま30分以上も世間話に花を咲かせている住人の方の姿を見ると、「ああ、効率や生産性なんて、人間関係には必要ないんだな」とつくづく思わされます。

5. 庭で「ただ、ぼーっとする」時間が心を救う

槻木の夜は、本当に静かです。聞こえるのは、虫の鳴き声と、風で木々が揺れる音だけ。

活動拠点にしている家のすぐ外にある庭で、スマホを置き、ただ椅子に座ってぼーっとする。名古屋にいたら「あぁ、時間を無駄にしてしまった」と焦るような空白の時間。でもここでは、その時間こそが心に豊かさをもたらしてくれます。

天然のASMRに包まれて眠る夜は、まさに「泥のような睡眠」。翌朝は憑き物が落ちたようにスッキリと目覚め、不思議とやる気がみなぎってくるのです。

帰り際、車の窓越しにおばあちゃんがかけてくれる「またきてね」という何気ない一言。その温かい響きを胸にしまって、私はまた、あの長い山道を下って名古屋へと戻ります。

地方で生活してみると、たくさんの発見があります

「不便さ」は、時に私たちの感覚を研ぎ澄まし、本当に大切なものが何かを教えてくれる最高のスパイスになります。「何もない」山奥は、実は「何でもある」場所なのかもしれません。

もし今回の記事を読んで、この暮らしが少しでも魅力的に感じたのなら、一度機会を作って地域に滞在してみるといいと思います。

きっとたくさんの発見があるはずです。