時刻は、深夜前。

名古屋のオフィス街にある牛丼チェーン店には、私と同じように仕事終わりのサラリーマンたちがたくさん座っていました。

BGMだけが淡々と流れる店内。ふと周りを見渡すと、そこには見事なまでに感情がない(ように見える)、無心で丼をかきこむ大人たちの姿がありました。

かくいう私も、その中の一人。忙しい仕事を終え、頭の中は明日のアポイントや打ち合わせのことでいっぱい。目の前の肉が美味しいかどうかなんて考える余白もなく、ただただ「空腹を満たすため」「明日も動くため」に、機械のように胃袋へとかきこんでいく。

特別な健康問題があったわけではありません。ただ、その無機質な食事のたびに、「何のために自分は生きているんだろう」という冷たい虚無感が、胸の奥にポッカリと穴を開けていました。

そんな私が、「食べる」ということの本当の意味に気づかされた場所。それが、月に1週間ほど通っている熊本県の最深部、「槻木(つきぎ)集落」でした。

目次

  1. 規格外の迫力。野生の筋肉を目の当たりにした日
  2. 白米がすすむ「香り」と、上品な野生の味
  3. ひんやりとした土間と、ほっこり温かい酸っぱい漬物
  4. 「いただきます」が教えてくれた、生きることの豊かさ
  5. 一人ぼっちの部屋で「美味しい」と呟いてみる

規格外の迫力。野生の筋肉を目の当たりにした日

 

槻木集落には、ジビエ(野生鳥獣の肉)を食べる文化があります。

ある日、私は集落で加工肉の製造・販売をされている方の工房を訪ねました。そこで見せてもらったのは、さばかれた直後の、台の上に置かれた膨大な量のジビエ肉でした。

スーパーに並ぶ、綺麗に切り分けられた薄いパック肉しか見たことがなかった私は、その大きさと量に思わず息を呑みました。

隆起した筋肉の質感。赤く力強い、生命力そのもののような塊。

「これは、間違いなく食べ応えがあるぞ……」その圧倒的な迫力に、私はただ立ち尽くすことしかできませんでした。

白米がすすむ「香り」と、上品な野生の味

いただいたジビエ肉と、これまた集落名物の「原木椎茸」を、シンプルに焼いて食べてみることにしました。

まず驚いたのは、椎茸です。

市販の椎茸を調理していても、そこまで強い香りを感じたことはありませんでした。しかし、槻木の原木椎茸は、焼いている段階から強烈な「椎茸の出汁の香り」が立ち込めてきます。大袈裟ではなく、その濃厚で豊かな香りだけで、白米が一杯食べられそうなほどでした。

そして、いざジビエ肉を口へ。

噛み締めた瞬間、野生ならではの強い弾力と、力強い噛み応えが顎に伝わってきます。ジュワッと溢れ出す肉汁。

驚いたことに、獣特有の臭みは一切ありません。加工のプロが素早く丁寧に処理をしてくれたお肉は、むしろ上品さすら感じるほど、透き通った美味しさだったのです。

「ああ、私は今、肉を食べているんだ」

牛丼屋で何も考えずに飲み込んでいたあの肉とは違う。命を噛み締め、味わっているという確かな実感が、そこにはありました。

ひんやりとした土間と、ほっこり温かい酸っぱい漬物

槻木での食事といえば、もう一つ忘れられない光景があります。

ある冬の日、数週間前に90歳になられたおばあちゃんの家に挨拶へ行った時のこと。

集落の古い家屋は、都会のマンションのように完璧な暖房設備があるわけではありません。薪ストーブが焚かれていても、土間には少しひんやりとした空気が漂っています。

「これ食べてよ」

おばあちゃんは、当たり前のように自家製の漬物(白菜や人参)を出してくれました。一口食べると、目が覚めるような強い酸味が口いっぱいに広がります。塩気は少なく、酸っぱい。

けれど、不思議なことに、ひんやりとしたその空間の中で、私の心はじんわりと温かくなっていきました。

特別な言葉をかけられたわけではありません。ただ、その土地で育った野菜を、おばあちゃんの手で漬け込んだものを、一緒にいただく。その時間が、何千円もするような都会の高級ランチよりも、ずっとずっと価値のあるものに思えたのです。

「いただきます」が教えてくれた、生きることの豊かさ

 

「食事とは、他の命を頂いて自分の命を繋ぐこと」

小学生の頃、道徳の授業でそんなことを教わった記憶があります。
でも、大人になり、都会のノイズと忙しさの中で、私はそんな当たり前のことをすっかり忘れてしまっていました。

槻木の迫力あるジビエの筋肉、香りの強い椎茸、そしておばあちゃんの酸っぱい漬物。それらを味わううちに、私は「生きるとは何か」という根源的な問いに対する、一つの答えをもらった気がします。

私たちは、たくさんの命を頂いて、今ここを生かされている。

その事実に気づき、感謝しながら食事を楽しむことこそが、私たちが豊かに生きていくための一番大切な土台なのではないか、と。

一人ぼっちの部屋で「美味しい」と呟いてみる

名古屋での日常に戻った今でも、私は相変わらず忙しい日々を送っています。
でも、食事の時間は劇的に変わりました。

夜、一人暮らしの部屋で、大好きな手作りの焼きそばを食べる時。私は必ず、食べる前にしっかり手を合わせて「いただきます」と声に出すようにしています。そうすることで、仕事のスイッチが切れ、命への感謝を考える時間を作ることができるからです。

そして、一口食べて、一人ぼっちの部屋でこう呟きます。「うん、美味しい」

自分で作った普通の焼きそばです。でも、声に出して「美味しい」と呟くことで、なぜかいつもよりずっと美味しく、心が満たされていくのを感じます。

もし今、あなたが忙しい毎日に追われ、パソコンやスマホの画面を見つめながら、機械のように食事を流し込んでいるのだとしたら。次の食事の時、一口目だけでもいいので、食べることに意識を向けてみませんか?

手を合わせて、命に感謝し、「美味しい」と声に出してみる。

たったそれだけの小さなアクションが、あなたのすり減った心を、優しく温めてくれるはずですよ。