「1日、6時間」

これがなんの数字かわかりますか?これは、私が1日の間にスマートフォンの画面を見つめている平均時間です。

つまり、起きている時間の、約3分の1

現在26歳の私が、仮にあと60年生きるとして。その間ずっと今のペースで触り続けたとしたら、私はそのうちの約20年を小さな発光体を見つめることに費やしている計算になります。

みなさんのスクリーンタイムは、いま何時間を指しているでしょうか。

名古屋での私は、いつも何かに追われています。「人生は短い」「やりたいことにフォーカスしなきゃ」そう頭ではわかっているのに、仕事の合間や帰宅後のソファで、つい無意識に指先が動いてしまう。

見てしまうのは、YouTubeのお笑い動画。日本のエンタメは素晴らしいです。面白いし、笑える。けれど、動画を見終わった後に残るのは「楽しかった」という感情よりも、「ああ、今日もまた時間を溶かしてしまった」という、冷たい虚無感でした。

だから、私は実験をすることにしました。場所はここ、熊本県の最深部「槻木(つきぎ)集落」

私は仕事の関係で、月に1週間ほどこの集落に滞在しています。普段はパソコンを開き、行政の方と打ち合わせをし、地域活性化の施策を練る「仕事場」としての槻木。ですが、今回の滞在中の土曜日だけは、あえてその役割から離れてみることにしました。

24時間、スマホの電源を切る

ただそれだけのことが、私に教えてくれたこと。それは、あまりにも単純で、衝撃的な事実でした。

目次

  1. 左手が探してしまう「逃げ場」
  2. 静寂の正体と、蘇る「味」
  3. コミュ障の私が、おしゃべりになった夜
  4. 取り戻したのは、小学生の「夏休み」
  5. 「主導権」を自分に取り戻す

左手が探してしまう「逃げ場」

いつもの滞在拠点に到着し、私は「えいっ」とスマホの電源を切りました。世界への扉が、プツンと閉じる音がした気がしました。

最初の1時間は、まさに禁断症状との戦いです。特に用事もないのに、無意識に左手がポケットを探ってしまう。

「あ、そうだ、ないんだった」

この動作を、何度繰り返したことでしょう(笑)。

「あの件、どうなったっけ? ちょっと調べたいな」そう思っても、検索窓はどこにもありません。

普段、私たちがどれだけ「隙間時間」を埋めることに必死になっているか。そして、いかに「待つこと」や「わからない状態」に耐えられなくなっているか

その不便さに直面したとき、私は初めて、自分が情報の波に「溺れて」いたことを自覚しました。

静寂の正体と、蘇る「味」

けれど、諦めて検索をやめた瞬間。不思議なことに、私の五感が急激に解像度を上げ始めました。情報が入ってこない代わりに、世界の方から私に話しかけてくるのです。

耳を澄ますと、そこにあるのは「静寂」ではありませんでした。さらさらと流れる小川の音。風が木々を揺らすザワザワという音。どこかで鳥が鳴く声。

普段はイヤホンで塞いでいた耳に、天然のASMRが心地よく流れ込んできます。

そして、食事。いつもならニュースサイトを眺めながら流し込んでしまう野菜たち。スマホを遠くに置き、ただ「食べる」ことに集中してみる。すると、「トマトって、こんなに甘かったっけ?」と驚かされました。

情報のノイズが消えた分、味覚や聴覚が、本来の仕事を取り戻していく。それは、錆びついていたセンサーが、1つずつ再起動していくような感覚でした。

コミュ障の私が、おしゃべりになった夜

夜、集落の方々と囲炉裏を囲んだときのことです。

普段は暇があればスマホを触る。でも、この夜は違いました。手元に逃げ込むための画面がない。だから、目の前のおじいちゃん、おばあちゃんとしっかりと向き合います。

「あんた、よう食べるねぇ」
「ここの野菜が美味しいからですよ」

ただ相手の目を見て、言葉を待ち、言葉を返す。検索して「正解」を探す会話ではなく、その場の温度を感じ合う会話。私はコミュニケーションがあまり得意ではありませんでしたが、気づけば私が自分から楽しそうに話していました。

孤独を埋めてくれるのは画面の向こうの誰かではなく、目の前にいる人の温かさだったのです。

取り戻したのは、小学生の「夏休み」

スマホのない24時間は、ゆっくりと、けれど、とてつもなく充実して過ぎていきました。

思い出しました。これは、小学生の頃の夏休みの感覚です。スマホなんてなかったあの頃。ただ目の前の遊びに夢中で、1日が永遠のように輝いて見えた、あの感覚。

決して、退屈なのではありません。「次は何を見ようか」と焦る必要がない。目の前の景色や会話を、じっくりと味わい尽くすことができる。

そんな贅沢な時間の使い方が、かつては当たり前だったことを思い出したのです。

「人生は短い」と焦っていたのは、私が画面の中の他人の人生ばかりを見ていたからかもしれません。自分の足で歩き、自分の目で見れば、時間はこんなにもたっぷりと、私たちの手の中にあるのです。

「主導権」を自分に取り戻す

24時間が経ち、恐る恐るスマホの電源を入れました。

通知が滝のように……なんてことはなく、世界は私がいなくても、何事もなく回っていました(笑)。少し寂しい気もしましたが、それ以上に「なんだ、大丈夫じゃないか」と、肩の荷が下りた気がしました。

私はこれからも、スマホを使うでしょう。仕事には必要ですし、やっぱりお笑い動画も見てしまうと思います。

けれど、もう「支配」はされません。

仕事の時は使う。でも、集中したい時や、目の前の景色を楽しみたい時は、遠くに置く。ただそれだけのルールを作ることで、私は「自分の人生」の主導権を取り戻せた気がします。

もし今、あなたが情報の波に溺れ、息継ぎの仕方を忘れてしまっているなら。次の休日は、スマホを置いて、自然の中へ出かけてみませんか?

場所はどこでも構いません。近くの公園でも、海でも、少し足を伸ばした山でも。もちろん、もし気が向いたら、ここ「槻木」のような不便な場所を目指してみるのも面白いかもしれません。

大切なのは場所ではなく、「圏外」という贅沢な時間を自分にプレゼントすること。美味しい空気を吸って、ただぼーっと空を見上げる。

そんな「人間らしい再起動」ができる場所を、探してみてください。