こんにちは!ひりゅうです。
人吉球磨で生活していると、ときどき耳にするあるキーワードがあります。
そのキーワードは、「河童(かっぱ)」です。
どうやらここ人吉球磨には、古くから河童にまつわる伝説が残っているそうで、その影響で今でも河童にゆかりのある場所があり、河童をイメージした地域イベントなども開催されているとのこと。
人吉球磨で活動する者として、この河童について知らないわけにはいかない!ということで、今回は地域に根付く河童伝説について、深堀って調べてみました。
人吉球磨でよく聞く「カッパ伝説」が気になる…
今回紹介する河童以外にも、人吉球磨では本当かな?と思ってしまう昔話や伝説を聞くことがあります。
私たちの活動拠点である多良木町には、百太郎溝という文化財があります。
百太郎溝は鎌倉時代から江戸時代までの非常に長い期間をかけて作られた灌漑(かんがい)用の用水路なのですが、長い年月をかけても完成させられなかったこの用水路を、「百太郎」という名の男性が人柱となって支えたことで完成にこぎつけたという伝説が残っています。
百太郎公園にある、伝説に登場する用水路
また、人吉市にある永国寺というお寺には幽霊伝説があり、幽霊を描いた掛け軸があるということで地域内外から多くの観光客を集めているとのこと。
上記2つについては、実際に現地に行って伝説の内容を調査してきたのですが、河童についてはまだ未調査ということで、今回は地域に根付く河童伝説について調べに行ってきました!
河童伝説発祥の地、相良村
河童伝説が生まれたのは、10市町村ある人吉球磨地域のひとつ、相良村。
水質日本一にも選ばれた清流「川辺川」や標高最大1,300mの山岳があるなど、豊かな自然に恵まれた地域であるほか、鎌倉時代から残る歴史も多くあり、「十島菅原神社」は国指定文化財にも選ばれています。
十島菅原神社(https://hitoyoshikuma-guide.com/2019/12/12/toshimasugawarajinjya/より引用)
そんな相良村で、河童伝説は生まれました。
河童伝説の詳細は後程詳しく調べていきますが、文化として河童が深く根付いている相良村には、地域のPRキャラクターとして「サガラッパ」がいます。
地域の方からはとても愛されているキャラクターとのことで、「サガラッパ祭」というイベントが毎年開催されるほどの人気ぶり。このようにキャラクターとして河童が使われているのは、やはり相良村が河童伝説発祥の地である所以なのでしょうか。
相良村にあるカッパスポットを巡ってみた
ということで、今回は河童伝説のある相良村を訪れ、いくつかある河童の聖地、カッパスポットに行きながら相良村の河童について勉強してきました。
ここではその様子をご紹介していきます!
夫婦橋
夫婦橋から見た川辺川の様子
まず訪れたのは、夫婦とかいて「みょうと」と読む、夫婦橋。日本一の水質と謳われる清流「川辺川」を横断する橋となっています。
ここに河童の像があるということで、早速行ってみました。
到着して早速、河童の石像を発見。橋の名前の通り、オスとメスの像(河童の呼び方がオスとメスなのかは不明ですが)が並んで置かれています。
河童は妖怪の一種だと思いますが、こちらの像は割と可愛らしい顔をしていて、愛着が沸きます。
近くに立てられている看板を見ると、「カッパの像に触れてから手を繋いで渡ると“相性が良くなる”といわれている」とのこと。
河童に触れることと相性が良くなることについてどういう関係があるのかはよくわかりませんでしたが、僕もいつか素敵な方と手を繋いでこの橋を渡ってみたいところです。
河童の墓
相良村にもう1つあるカッパスポット、河童の墓。こちらは名前に河童が入っているので、なにか伝説と関係があるはず。
と意気込んで向かったところ、見つけたのがこちら。
石の像ではあるのですが、夫婦橋の像とは違い河童の見た目をしていないので、注意深く見ていないと通り過ぎてしまうかもしれません。
パッと見ただけだと本当に河童の墓なのか?と思ってしまいますが、花が供えられていたので、こちらが間違いなくお墓なんだと思います。
ただ、河童伝説については何かパッとしないなあと思って周りを見渡していたところ、ついに見つけました、河童伝説にまつわる貴重な情報を…!
相良村に伝わる「廻り河童伝説」とは?
こちらが、河童の墓の近くに建てられていた看板。タイトルのような形で「廻り(まわり)河童伝説」と記されているので、まさに僕が探していた河童伝説がここに書いてありそうです。
読んでみると、以下のようなお話が書かれていました。
※以下、現地の看板の内容に加え、『くまがたり』の記事の内容を参考に、物語をまとめました。上記画像の文字が読みづらいという方は、ぜひ下記文章をご覧ください。
廻り河童伝説
昔むかし、ある夏の暑い日のできごとでありました。
廻り観音の裏手にあたるところに川辺川の分流で藤の瀬という流れがあって、そこに「サカマ」という深い淵があり、昔からこの渕にはカッパが住んでいるといわれていました。
村山家では大きな馬が買われており、その馬を水浴びさせるためにサカマに連れていき、馬を木に繋いでおいて主人は自宅に帰ったのであります。
そして間もなくサカマの渕からカッパが出てきて馬のしっぽに食い下がり、渕の中に引きずり込もうとしたのであります。
それに驚いた馬は手綱をひきちぎって馬小屋に駆け戻りました。そしたらカッパも馬のシッポに食い下がったままついてきました。
それを主人に捉えられ、柱にくくられました。
少しして女中がそれを見つけてかわいそうに思い、そっと逃がしてやりました。ところがその翌晩から村山家の炊事場に鮎やイダ(別名、ウグイ)などの魚が毎晩届けられるようになりました。
そしてこのことは長い間続いておりましたが、ある晩から途絶えてしまいました。
多分河童も年老いて死んだのであろうということで、ここにカッパの墓を建て霊を慰めてあげたとのことです。
※一部読みやすいように言い回しを変えて記載しています。
人吉球磨に残る伝説、他にも探ってみたい!
今回は人吉球磨に残る河童伝説について深堀って調べてみました。
河童には妖怪のイメージがあるので怖いエピソードが伝説として残されているのかなと思っていましたが、どこか心温まるお話だったのは魅力的でしたし、地域全体で河童の伝説を大切にされているのも素敵だなと感じました。
人吉球磨には、このほかにも様々な伝説、昔話があると聞きます。
人吉球磨の魅力を発信する以上、地域に残る歴史は全部網羅し、発信しなければ!引き続き、伝説の発掘、探究に勤しんでいきたいと思います。