パソコンの画面を睨みながら、「アグリーです」「結論から言うと」「ロジックとしては」と、スマートで隙のない言葉を並べる。

名古屋のオフィス。商談やミーティングで相手に隙を見せないよう、私は今日も分厚い「デキる若手」の鎧を着込んで、必死に仕事を回しています。

もちろん、それはビジネスマンとして生き抜くために必要なスキル。けれど、常に論理と合理性ばかりを求められる環境にいると、家に帰る頃には心にどっと重い疲労感がたまっているのです。

「完璧で、デキる自分じゃなきゃいけない」

そんな中、月に1週間ほど滞在している熊本県の山奥・槻木(つきぎ)集落で、ある出来事をきっかけにその鎧をポロリと脱ぎ捨てることになりました。

現地の方々の温かい「球磨弁」は、正直今でも5割くらい理解できません。アジェンダもオチもない、ただゆっくりと流れる時間に最初は戸惑うばかりでした。

しかし、そんな僕の前に姿を現したのは、都会のコミュ力を完全に無力化する、驚くほど密接で優しい情報伝達システム「おばあちゃんネットワーク」でした。

今日は、周囲の評価や言葉の壁にすり減っているあなたに、コミュ障会社員の私が山奥で身につけた「最強のサバイバル術」をお話しさせてください。

目次

  1. 言葉が通じない時は「素直に降伏」せよ
  2. 僕の「やらかし」は、最速でお茶飲みの議題になる
  3. 「評価」を気にする自分がしょうもなく思えた日
  4. 満員電車のイライラを、あのお茶の「余白」で受け流す

言葉が通じない時は「素直に降伏」せよ

槻木集落での滞在中、あるおばあちゃんが、笑顔でカゴいっぱいに収穫したブルーベリーを持って話しかけてくれた日のことです。

「結論」と「ロジック」を急ぎがちな都会脳の僕は、言葉の意味が半分も分からないまま「このブルーベリー、食べていいってことだな!」と脳内で先回り。元気に手を伸ばした瞬間、おばあちゃんが一瞬、ハッと怖い表情を浮かべて僕の手をピシャリとたしなめました。

「このブルーベリー、食べちゃダメだよ!」

「やばい、ガチで怒られた……!」ビジネスの場なら、文脈の読み違えは大事故です。でも、冷や汗を流して慌てる僕を見て、おばあちゃんは次の瞬間カラカラと嬉しそうに笑ったのです。

「すいません、意味が理解できなくて!」と素直に伝えると、その場の空気はさらに温かいものに変わっていきました。

都会での私は、分からないことを素直に言えず、見栄を張って知ったかぶりばかりをしていました。でもここでは、小手先のビジネススキルなんて何の意味も持たない。

唯一のサバイバル術は、自分を良く見せようとするのをやめ、「自分の弱さや無知をありのままさらけ出して、等身大の自分で降伏する」こと。何も知らない自分を隠さずに伝えると、相手は僕の無知を追及するわけでもなく、ただ「当たり前のこと」としてフラットに教えてくれるのです。

僕の「やらかし」は、最速でお茶飲みの議題になる

そんなおばあちゃんネットワークの恐ろしさと温かさを、身をもって知った失敗談があります。

地元の方に畑を少しお借りして、意気揚々と農作業のお手伝いを申し出たときのこと。うまく土を掘り返すことができず、出来上がったのは汚くて質の悪い、無残な畑。見事なまでに、ただの足手まといに成り下がってしまいました。

そして、この山奥の情報伝達スピードが圧倒的に早かった。数時間後、集落の反対側にあるお家でお茶をいただいているとき、別のおばあちゃんから当たり前のように笑い飛ばされたのです。

「あらー、若いのになんもできんかったと?(笑)」

できないことをハッキリ指摘されつつも、おばあちゃんたちの表情は「そりゃあそうだよねー」というハッキリとした、でもトゲのないフラットなものでした。

電波も怪しい山奥で、僕のちょっとした「やらかし」が驚くべき速さでお茶飲みの議題になり、優しく共有されている楽しさ。ここでは、できない自分を隠す必要なんて、最初からどこにもなかったのでした。

「評価」を気にする自分がしょうもなく思えた日

都会にいるときの私は、いつも他人の評価を気にしすぎて、本当はやりたくないことも遠慮して引き受けてしまっていました。嘘の笑顔を浮かべて自分を大きく見せる。家に帰るとどっと疲れが出る「鎧」を着込んでいたのです。

でも、90歳を超えても自分の手で丁寧に暮らしを整えている「生きる達人」たちの前では、その大人としての武装が、なんだか急にしょうもなく思えてきました。

「評価を気にしすぎて嘘をついたり、行動できなくなったりするのって、すごくもったいないな」

そうやって、評価に怯えてビクビクするのをやめた瞬間、心にかかっていたブレーキがカランと音を立てて外れるのを感じました。

変に取り繕う必要がなく、完璧さを求められない、ありのままが許される環境。これこそが、ガチのコミュ障だった僕を包み込んでくれた「究極の心理的安全性」の正体でした。

満員電車のイライラを、あのお茶の「余白」で受け流す

滞在を終えて名古屋に戻ると、またほんの数分の電車の遅延にイライラが漂う、便利だけれどどこか息苦しい世界が待っています。

以前の僕なら、そのピリピリしたノイズにすり減り、無意識にスマホを開いて、特に見たいわけでもない動画をただ流し見して心を消耗させていたでしょう。

しかし、今の私は少しだけ違います。

ギューギューの満員電車に揺られながら、私はふと目を閉じて、槻木のおばあちゃんたちが淹れてくれた熱いお茶の味を思い出します。あのオチも結論もアジェンダもない、ただゆっくりと流れていた贅沢な時間の余白を、心の中でそっと再現するのです。

都会のスピードに流されて、自分まで無理をして走ることはありません。他人に評価されるための努力や論理武装は、一度手放してみても大丈夫です。

洗練された言葉も、デキる自分を演じる鎧も、本当は必要ありません。自分の「弱さ」をありのままに受け入れること。これだけで明日を生きるための心の荷物は、びっくりするほどふっと軽くなるはずです。

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